「実は"トリスタン"をやろうと思っていまして…」と口にすると、オペラに不馴れな方が相手なら「ああ、そうなの」で済んでしまうものの、オペラに通じていらっしゃる方が相手となると、まず驚いた表情を浮かべ、そして微笑みながら「それは楽しみですね」と言って頂ける。この様なリアクションこそがサカナ団が曲りなりにも16年活動して来た事の証であり、サカナ団という風変わりな団体の本質を表している。
『トリスタン』は物語としては実にシンプルな「許されざる」愛の物語である。メロドラマの典型の如くドロドロと進み、ザワザワと胸をえぐる。決して結ばれてはならない境遇の男女が"秘薬"によって恋に落ち、昼(こちら)の世界を捨て、夜(あちら)の世界だけで生きたいと願う。この作品はワーグナーの代表作であり、様々な要因の故に、滅多に上演される事ない、極めて魅力的で、かつ極めて難しい作品である。しかし創り手の団体であるサカナ団は、新国立劇場公演『外套』『おさん』で好評を博した日本舞台界を未来を担う2人の若手芸術家、指揮者・神田慶一と演出家・粟國淳のタッグによって、<オペラ>とは決して欧米の伝統を「再現する」だけの過去の遺産でなく、常に新たに産み出されるべきかけがえのない感動であり、エクスタシー(快感)である事を、胸を張って証明したいと思っている。創り手の2人は様々なファンクションを仕掛けている。初演時に行われたカット(短縮版)をベースにしているものの、きちんと全3幕を上演する。またオーケストレーションにも手を加え、繊細な劇的表現を得意とする日本人キャストが存分に魅力を発揮する工夫をオーケストラに施している。日本オペラ界を代表するテノール田代誠の"トリスタン"とプリマドンナとしての華も盛りのソプラノ飯田みち代の"イゾルデ"、加えて玄人好みの個性豊かなその他のキャスティングと共に、日本人の手によるワーグナー表現の新たな可能性を期待して頂きたい。
「青いサカナ団に"トリスタン"が出来るのですか?」という質問は、むしろ"想定内"のお言葉である。東京文化会館委嘱作品『僕は夢を見た、こんな満開の桜の樹の下で』(03年=佐川吉男音楽賞受賞)、江戸開府400年記念事業『あさくさ天使』(04年)と、ここ数年の足跡は紛れもなく次のステップへとサカナ団を促しており、独自なテイストだけがウリだった団体も、紛れもないある種の成熟を迎えている。もちろん今までの伝統的な『トリスタン』を御覧になりたければバイロイトなどへのご旅行をお薦めするが、新しいオペラの息吹を目撃なさりたい方は、是非とも青いサカナ団の『トリスタン』を御覧あれ!
これは既存の舞台芸術界への起爆剤でもあり、そして皆様にオペラの"新世紀"の到来を高らかに宣言する舞台でもあるのです。
写真:堀田力丸

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