国立オペラ・カンパニー 青いサカナ団





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◆ 第23回公演 歌劇 『僕は夢を見た、
   こんな満開の桜の樹の下で』
/I was dreaming,under
   the full-blown cherry blossoms
(第一回 佐川吉男音楽賞受賞)
2003年2月7日 於・東京文化会館小ホール

作曲;神田慶一
原作・脚本;神田慶一
指揮;神田慶一
演出;神田慶一&八木清市

Cast :
サクラ/菊地美奈  ジロー/所谷直生  タクロー・鍵の男/細岡雅哉


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 2002年からこの東京文化会館委嘱作品としての新作歌劇の創作に神田慶一は多くの時間を割く事となります。それまでの創作作品がサカナ団主催(すなわち自主公演)か、ある地域とのコラボレーションによって創作されたのとは異なり、この神田自身にとって第7作目となるオペラ作品は全くの"白紙"の状態からのアプローチを要求された訳です。作品選定から創作条件まで全てが"白紙"という事は実は恐ろしいもので、それまでの作品群が何らかの素材を取材し、組み立てて来たのとは全然違うプロセスを求められた訳です。

 この混沌とした状態の中で最終的なテーマとして選んだ事柄は、神田自身がそれまでに大きな影響を受けていた3つの文学作品からヒントを得たものでした。ベースとなっている発想はタイトルからも想像がつく通り坂口安吾氏の『桜の樹の満開の下』であり、三島由紀夫氏の『近代能楽集』(主人公の名前ジローは、この作品集のなかの1作にある主人公と同一です)であり、そして村上春樹氏の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』であったのです。この3つに共通している点は、現実と夢という2つの異なる位相を行き来し、そこで引き裂かれる人物の内面を描写している点です。以上のテーマをヒントにしつつ、神田独自の世界として描き切った(ここで敢えて、描き切ったと表明するのは、自らそれまでの作品で出来なかったある種の達成感をこの作品では実現出来たからなのですが)ものが本作品であると言えるでしょう。

 自ら思い返すと、作曲か自らが脚本を手掛ける場合(ワーグナーがその好例だと思いますが)言葉の持つ韻律、響きを生み出している瞬間に、既にある程度の音楽的な要素は導き出されているものです。もし作曲者がある程度の文学的素養を持ち、その事についてのコントロールに長けていれば(それにまつわる努力とある種の才能は必要不可欠ですが)、別の脚本家に依頼をするよりはるかに統制の取れたオペラ作品が実現されると思います。この作品はその様な局面が、実に幸運に恵まれ、転がった末に生まれた"良き"作品だと自負しています。

 オープニングはファミリーレストランで週末の食事を取る様々な人達のアンサンブルで幕を明けますが(この今日的な設定自体、実にサカナ団的様相です)、そこに銀行強盗をしでかし,逃走の途中で突入して来た2人組の若者が現れると物語は急速に進行し始めるのです。その後行われる夢と現実とのイン/アウトは、すなわち自己への埋没(逃避)と外的世界とのアクセスの図式の転化であり、この様なイン/アウト構造は、前に例で上げた3作の文学作品のみならず、古今東西、多くの作品群に見られる、言わば定石的な作品プロットとも呼べるものです。この作品が新作であるにも関わらず、ある種の古典的風貌を持ち、違和感なく「今日のオペラ作品」として客席に響くのは、実は根底に潜むスタンダードな枠組みに理由があるのでしょう。作者自身、この作品がやがて日本を代表する(日本を舞台にしつつ、テーマは普遍なので可能性があると思いますが)オペラ作品として広く世に知られる事になれば良いなと願っているのです。

 ちなみに途中のパーティ・シーンで様々な来賓者の登場がありますが、そこで現れる人物達の名前は全てシェークスピアの『テンペスト』から借用したものです。何故なら『テンペスト』も同様にイン/アウトの構造から成る古典的名作なので、その事に敬意を表したつもりです。

写真:産経新聞

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