記念すべき青いサカナ団第20回公演は、神田慶一自身の原作・脚本・作曲・指揮・演出、おまけにチラシに載せた油絵まで1人でやってしまうという自己満足な暴挙の集大成です。良く言えばマルチ、悪く言えばワンマン。でも何と呼ばれても一向に構わないのです。何故ならば、この記念すべき公演作品は、自分自身の「この時期の集大成」にしたかったものなのですから。
神田自身のオリジナル第6作となる本公演は、内容としては神田の少年期をテーマにした前作『祭の唄がきこえる』の主人公が、あれから10年後、ロック・バンドに夢中になる時期の物語です。(それは神田少年が中学・高校時代にロック・バンドにはまっていた時期、1983年と重なる物語です。)
舞台上には実際の中高生のバンドを乗せ、音楽自体もとても伝統的なオペラとは呼べない代物です。(なにしろ神田自身が中学・高校時代に作曲していた曲、その時期の作曲なので当然の様にオペラの曲ではなくバンドの為に書かれたロック・ミュージックなのですが、それらの楽曲を再構築する形で出来上がったのが本作です。)
但し、声を大にして言いたい事は、これはれっきとした「オペラ」だと言う事です。その理由の詳細は省略しますが、ごくごく簡単に言ってしまえば、オペラという芸術ジャンルは400年前の西欧で生まれたものですが、現在を生きている私達が新たに創造する時に、何も400年間継続されて来た全ての手法を踏襲する必要は無いであろう、すなわち今日生きている新たな音楽的語法を堂々と取り入れる事で、今日のオペラが生み出せるのだ、という発想です。この乱暴な論法には反論は必至でしょうが、現代に於いて、オペラだ、オペレッタだ、ミュージカルだと、そのジャンル分けがその内容を語る事と同格に、時にはその内容以上にも煽動されながら取り扱われる事に対しての反抗でもあります。
これまでオペラ作家を自認し、その大役を自分で極めたいと思っていた作曲家だからこその正直な創作衝動だと思っても頂きたいのです。
ともあれ、舞台音楽自体も、江東区との協力態勢でも、今までの歩みの総決算が、この様な形で結実したのです。江東区の皆様と共に作ってきた舞台も都合5年を迎え、教えてきた子供達も5年もたつとそれぞれの成長を果たします。様々な意味で総決算、棚卸し的な作品として仕上がった訳です。
個人的な感想で恐縮ですが、この作品の最大の思い出は、神田が長年憧れていたバンド、ムーンライダーズのドラマー・かしぶち哲郎氏が友情特別出演として舞台上で演奏してくれたことです。ある意味で、オペラとは呼べないような作品を平気で世に問うサカナ団が、その活動の根本に持っているのが、ここで聞こえるサウンド、すなわちポピュラー音楽の文脈であることは、忘れてはならない非常に大切な要因なのです。そしてそれらを聞きながら成長した自分自身が「今日のオペラ」を創る事に何の違和感も覚えず、むしろ将来的な可能性を感じるのも、決して自己満足ではなく、時代認識の上に立脚した、極めて冷静な視点によるものなのです。
またこの公演は、江東区との5年間に渡る協力態勢に終止符を打った、そして創作に邁進したサカナ団の第3期を終える記念碑とも呼べるものです。
写真:長谷川清徳
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