89年から93年までの<黎明期>、94年から97年までの<ヴェリズモ期>(別の言い方では「まともなオペラ団体であろうとした」時期)を経て、この公演からサカナ団は新しい方向へとシフト・チェンジを行います。それは、94年からこの時まで本拠地中野でのみで公演を行っていたサカナ団が、初めて中野を離れ、江東区、川口市の方々と公演を作ることとなったのです。そのきっかけは実に思いがけないものでした。オペラ団体運営に疲れ果て、久し振りにロック・バンドのライブをやりたいと(そもそも神田慶一はロック・バンドがやりたくて音楽大学に入ったのですが)会場探しを行っていた際、あるレコード会社の方から紹介されたティアラ江東の担当者の方とオペラ談義で盛り上がり、その勢いが出発点となり、まったくの偶然にもサカナ団の公演が江東区で実現したのです。
そもそも市民参加形のオペラである『銀河鉄道』ですから、初演時に中野で行ったのと同様に、江東区、川口市とも公募による参加者を合唱に招き、公演を行いました。正直な所、初演時では考えもしなかった「作品は成長する」感触を得た公演でもあります。それまで創作とは「生み出すもの」だと思っていた意識が、「育てるもの」に変化した瞬間でもあります。かつて生み出した作品が自らの手によって再生されるのですから、明らかに初演時よりも質・量ともグレードアップし、その経過を如実に反映するが如く、観客の反応も良好でした。<子供(作品)>が自らの手で育っていく様は、その後の団の活動に大きく化学変化をもたらしました。それぞれの地域で初めてのオペラに合唱団として出演した一般の方々の熱意、感動は、間違いなく大きな成果を上げました。その後、今日まで、様々な形でサカナ団が取り組むこととなる<市民オペラ>の原型は実はこの2公演で培われたと言っても過言ではないでしょう。
この時期の最も大きな収穫は、初めてオペラという芸術ジャンルに先入観なく接し、初めて舞台というエキサイティングで且つシビアな世界に接する事となった一般の子供達が(この作品はとりわけ、子供達が活躍するのですが)目を輝かせて、舞台を作っていった過程にあります。いつの間にかサカナ団が忘れそうになっていた「何か」を再び、あの時の、あの子供達は思い出させてくれました。
それ故に、この2公演は新たなサカナ団のスタートでもあり、シフト・チェンジでもあった、非常に思い出深いものなのです。
写真:長谷川清徳
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